SHARE PARKのショップにて配布している「LOCALS」。
一号目は名古屋に住む様々な人達を特集しています。
紙面では伝えきれなかった、ローカルズのストーリーを、ウェブサイトで限定公開!
三回目となる今回は、岡崎市にて親子で老舗の太鼓店を営む三浦宏之さん・和也さんのストーリー。
長い伝統を引き継いできたお二人の想いとは…
そして地元岡崎への想いとは…?
是非LOCALS本誌とあわせてご覧ください。
Vol.3
三浦太鼓店
三浦宏之さん、三浦和也さん
時代の求めるやり方で 伝統を継承し、伝統を創る
この日向かったのは、名古屋から車で1時間弱の愛知県岡崎市。
三河国の中心地といえば、あまり歴史に詳しくない人でも、徳川家康公を思い出すのではないでしょうか。
折しも今年は家康公が亡くなって400年。節目の年ということで、街のあちらこちらに「家康公四百年祭」ののぼりが。
歴史の深さを感じながら住宅街を進むと、入り口にずらりと扇風機が並ぶ工房に到着しました。
ここが本日の取材先、1865年創業の「三浦太鼓店」。
扇風機は、濡れた皮を乾かすためのもの。
中へ入ると、セピア色になった先代たちの写真が飾ってあります。
ところ狭しと重なる太鼓を見ながら、「これは大阪、これは東京…全国から太皷が集まっているんですよ」と話してくれるのは5代目の宏之さん。
太鼓屋の主な仕事は、太鼓の制作と調整です。
今と昔では、太鼓を取り巻く環境はまったく違うものになったと宏之さん。
「昔は神社や寺で使う祭りごと用の太鼓が多かったものですが、今は減りました。
その代わり、20年ほど前から趣味で太鼓を叩く人が増えたんです」。
老舗ながらホームページを開設している「三浦太鼓店」では、サイトを見た地方の個人客からの受注が増加。
そういうお客さんは、各人音への要望が違うのだとか。
「音の高低だけでなく、よく響くものとか、そうじゃないものとか。うちは家族それぞれが太鼓グループに所属し、自分たちでも太鼓を叩くので、どんな音を希望しているのか分かりやすいんです。
そういうことをしている太鼓屋は、ほとんどないでしょうね。もっと古い太鼓店はたくさんありますが、この先長く続けていきたいと思ったら、時代のニーズとどう合わせるかを考えないと」。
今、工房で働くのは5人。畳敷きのスペースでせっせと手を動かすメンバーの中には、宏之さんの次男、6代目である和也さんの姿が。
「太鼓の仕事が好き」だという和也さんは、生まれてからずっと太鼓の音に囲まれて過ごしてきました。
「よかったと感じるのは、自分には自然と音の感覚が身についていたことですね。英語圏で生まれ育った子どもに、大人になってから英語を習った人がどれだけ対抗しても、発音では勝てません。太鼓の音も同じ」。
工房の壁には、理念である“活きた和太鼓の音を創る”という言葉が貼られています。
「活きた音って抽象的ですよね?でも僕には感覚で分かるんですよ」と和也さん。
まさにプロフェッショナル!
大小さまざまの太鼓の中には、なんともいえない艶と風格をまとったものがときどき混ざっています。
それは時間という、人間の手ではどうにもならない、特別な力によって生み出された魅力。
「中には500年以上経つような太鼓もあります。でも、そんなに古いのに、叩けば活きた音が出る。それってすごいことですよね」と和也さん。
たまに、持ち込まれた古い太鼓の内側に先代の署名を発見するときもあるのだとか。
「そういうときは、やっぱりうれしくなります。ずっと続いてきたものって、お金では買えない素晴らしい価値があるなと。僕もつい最近、ようやく分かるようになったんですが(笑)」。
今まで地元を出ようと思ったことは?と聞くと、和也さんは少し困った顔をしました。
「うーん…ないかな。僕に限らず、岡崎には地元大好きな人間が多いです」。
その理由のひとつが、ここには今も多数の伝統産業が残っていることなんだとか。
三浦太鼓店は「おかざき匠の会」のメンバー。
この会には石職人や花火職人、八丁味噌職人など、伝統工芸や地場産業の仲間が集まり、お互い刺激し合いながら伝統を守っているのだそう。
「若い世代も、地域の文化に誇りがあるのが普通。匠の会でも若手がジャンルを超えてコラボレーションし、伝統を大切にしながら、新しい試みをしています」。
すると宏之さんが隣から「伝統だって、昔の人が始めた新しいことがはじまりだからね」とひとこと。
「いい場所に生まれたなと思います」と話す和也さんの姿がまぶしく、さきほどの質問を投げかけたことが、少し恥ずかしくなったのでした。
自分は地元の文化、どれだけ知っているだろう…。
日本の色々な文化を知ることは大切。
でも自分が生まれ育った場所のことも、もっとよく知ろう。そう思いながら帰路につきました。
「三浦太鼓店」
http://www.taikoya.net/